小説:『空宙の歩行線(そらのほこうせん)』|『三田文學』”新 同人雑誌評No.154(2023年夏季号)で取りあげられた作品”です。|創作

サムネ:そらの歩行線 小説

※この記事には広告・PRは含まれません。純粋な創作をお楽しみください。

サムネ:そらの歩行線

夢の世界――空宙(読み方:そら)を歩く主人公。星が道を作る銀河を進むと「幽の家」と呼ばれる不思議な家にたどり着き、謎の少女と出逢う。知らないのに知っている気がする彼女と話しながら空宙を旅することで、現実世界での疲れは徐々に取り除かれていく……。

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 横読みはPDFの下部にございます。

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『空宙の歩行線』縦読みリンク

 暗い部屋だ。

 夜なのだから当たり前だけど、これが自分の部屋だった。

 酸素が薄いように思う。欠伸は酸素を多く取り入れるために出るらしい。でも口を大きく開いたりはしない。鉄砲のように先を尖らせ、隅に溜まる僅かな空気を次に繋ぐため吸い寄せる。埃が混じっていて汚く、胸の辺りが気持ち悪くなる。

 布団は温かい、気がする。お腹の辺りだけ。手足は布団から出ているわけでもないのに冷たい。じゃあ、布団から出ている首から上は? 感覚を鈍らせようと働いている。おかしな話だ。考えないようにするため、考えている。

 脳内の左から始まり、右についてもまた左に戻ってきていて、考えが同じ軸を回っているとわかると落ち込む。具体的にこれというものがあるわけではないけれど、落ち込む。

 照明はつかない、暗い部屋だ。

 最後には繰り返しにも疲れて、気がつけば。

 眠ろう――

 空宙の上に立っていた。

 まわりには鮮やかな群青が光と混じり銀河を作った。足元には無数の星の道。トゲトゲに思っても、触れる足は柔らかさを感じている。あと涼しい。呼吸するのが鼻や口からじゃない。全身から無意識に流れ込んで楽だ。

 星の道はとある場所まで続いていた。行ったことはないのに行ったことのあるその場所まで、何も考えずに進む。音の鳴る足元に楽しくなる。少し行ってから立ち止まって、また行ってから止まって、自分なりのリズムを作る。

 カラリンリン、カラルンルン。カラリンルン、ルンリンルララン。

 バランスを崩し転んでしまっても痛くない。ふわっと星は受け止めるとともに体をトランポリンのように弾ませて僕を運んでくれる。おまけに輝きのプレゼント付き。弾む地面から思い通りに着地すれば、今度は転ばないようにゆっくり進む。

 向かっていた場所が見えてくる。

「幽の家」

 口からは自然と家の名が溢れた。辺りに浮かぶ氷のような結晶で作られた透明な家。透明とは言っても輪郭ははっきりとしていて、青色のログハウスみたいに見えた。前面に外壁はなく、中は丸見えの不思議な断面的家。入り口からは入らず、外に飛び出した屋根裏への梯子を上っていった。

 無題の本ばかりが隙間なく並べられた本棚の上に、ウサギとクマのぬいぐるみが乗っているのが見えると心が微笑んだ。前に敷かれた円形のカーペットに三角にまとまって座る。

 深呼吸をする。

 銀河を眺めると回っていることに気づいた。

 音が鳴っている。無音という静かな音が鳴っている。頭の中でそれは言葉を奏でている。様々に連想する言葉の羅列を意味としては捉えない。

 ただ、見えるものだけ。見えるものだけに指で線を描く。

 湖が見える。反転した湖が見える。反転して反射した湖が見える。反転して反射して空宙に反発して溶け込んでしまった湖が見える。縁部分を指でなぞると銀河の上に描かれる。神の譜面は円を描いていくだろう。終わりはないだろう。そう思ったから、湖は丸く描かれた。

 樹が見える。誰にも縛られない樹が見える。緑はどの世界にだってほしい。少し黒が混じった緑は、銀河には異色かもしれないが、僕がほしいのだから表現されるだろう。歪に伸びる不規則な枝一本一本を丁寧に描きこむ。まるで人の手の、さらには皺の一つ一つのように。意味も込めよう。あの枝は「つながり」で、あの枝は「ぶんれつ」で、あの枝は「かけひき」で、あの枝は……。根っこは「ぼくとみんな」にした。

 家が見える。灰色の石でできた何もない家が見える。窓はなく、形も豆腐のような、悲しい家。暑い日は発火し、寒い日は冷凍される。誰も寄り付かないから家とも呼ばれないかもしれない。せめて、優しく線を繋いだ。入るところのそばには赤と桃の色を混ぜた花を付け加える。これで花を見つけた誰かが住んでくれることを期待する。

 あとは、何が見えるか。

 思ったより自分のイメージは乏しかったのだとわかる。世界にたった三つしか生み出せなかった。人差し指の先が動かなくなり、上げていた腕の疲れを思い出すとカーペットに降りていく。硬い毛玉がざらつきを作っていて腕の皮を少しだけ擦った。

 再び深呼吸をする。

「今日は何を描いていたの?」

 透ける淡い声が突然聞こえて体がびくつく。首を後ろに回すと、彼女がいつもと同じ調子でやってきた。はじめは大人っぽい女性の姿だったが、近づいてくるにつれて青年期の少女に変わった。

「どうかしたの?」

 この世のすべての色を混ぜて作ったような彼女の黒い瞳を茫然と見つめてしまう。数十秒は彼女のことがわからなかった。でも次第に慣れてくる。明順応と似ている。

 思い出す。

 自分は、彼女と逢うためにここへきた。

「ごめん、大丈夫」

「そう? ならいいけど」

 彼女が隣にぴったり座る。だからちょっと横にずれる。彼女はそれを見てこっちにわざと寄ってくる。それでちょうど良い距離が出来上がる。

 描いたものを紹介してと頼まれる。大したものではないからあっという間に紹介は終わると思った。「あれが湖で、あれが樹で、あれが家」そんなふうに。けれど、彼女は例えば湖ならどんな触り心地の水で出来ているのか、深さは、その中に生き物はいるのかなどと一つ一つ詳細に聞いてくる。それもありえないぐらい興味津々な顔をして。さっきの黒い瞳が、彼女の体の揺れで角度が変わるごとに色彩を変えて見せる。

 自分では上手に描けた気はしなかった。見る人によってそれはきっとただの楕円型の何かで、棒状の何かで、直方体の何かでしかないのだと思う。そもそもこれらは描いたとは言ったが絵ではない。見えたものに線を引いて作っただけ。絵なんて呼べる大層なもの、描けたことなど一度もない。

「そんなこと関係ないよ」

 彼女はそう言って褒めてくれた。彼女にとって上手い下手はどうやらどうでも良いことらしい。それよりもどう描いたかが興味をそそられる部分なのだそうだ。

「でもそれって少し変じゃない? 描いたものに言ってるんだから、どう描いたかが大切なら、物はいらないじゃないか」

「いいの、難しいことは」

「そういうものかな」

「そういうものだよ」

 勢いに負かされている気がするけれど、それこそが彼女だからもう何も言わない。褒めてもらったから嬉しい。それ以外はいらない。

 静けさが戻ろうとする。彼女は気分良く歌い出す。ゆったりとしたテンポの歌は、空宙に穏やかな風を生む。でもこの風はもとから吹いていたのかもしれない。空宙が涼しいのはこれのおかげだ。耳の裏をなぞるように通ったり、頬を撫でるようにも。しかし、どれも気にしようと思わなければ邪魔にならない。

 彼女が歌い続けている間、本棚から本を取ってくる。余った手にはウサギのぬいぐるみを持ち、彼女の前で振って見せる。笑ってくれたらちょうど良い距離の間にそっと置く。

 無題の本は開いても白紙だが、しばらく待つと文字がどこからか降ってくる。黒い線の集合体が等間隔に白紙へ文章を並べ、読んだこともない物語が完成する。それを読もうと思うが実際は眺めるだけ。内容を理解してはいない。ただ文字を指先で感じて、耳からは彼女の歌が入り、息が涼しさに青くなっていた。

 半分ほどページを捲る頃、彼女は歌声をだんだんと小さくする。本棚へ歩き、クマのぬいぐるみを持ってきてウサギの隣に置くと同時に、歌声は完全になくなる。クマとウサギは手を繋ぎ、仲を良さそうにした。それがなんだか可笑しくて苦笑いする。

「私も描こうかな」

 言うと、彼女は悲しい家の近くにぬいぐるみを真似て描く。ウサギは僕の付け足した花の匂いを嗅ぎ、クマは家の角で背中を擦り付けている。二匹が住み着くのかはわからないが、彼女のおかげで家は悲しくなくなったように見える。

 嬉しかった。

 だけど、彼女が次に人を描こうとしたときは咄嗟にやめさせてしまった。どうしてだか詳しい理由は言えずに、住み着くものがいなくたってその場所が幸せそうなら悲しみは薄れているからいいんだと、意地を張るみたいに言う。本当は「人」を描いてほしくなかっただけなのかもしれない。

「ごめんね」

「謝らなくていい。僕のほうだ。急に怒鳴ってごめん」

 せっかく楽しかったのに申し訳なかった。気づくとウサギとクマのぬいぐるみが倒れて、繋いでいた手が離れていた。僕は再び二匹の手を繋がせ、それを見た彼女は切り替えるように微笑んだ。

「人は嫌い?」

「違う。そうじゃないんだ。でも、そうなのかもしれない」

 立ち上がり本を戻しに行くと、棚の余った部分に何重にも折られた小さな紙切れがある。丁寧に開くとそこには「好きです」とだけ達筆に書かれていて、胸の辺りが空っぽになるような気持ち悪さが襲う。左手と右手でいくら抉っても、胸の奥からは何も出てこない。紙切れは、唯一の宝物だった。

「ちょっと遊びに行こっか」

 何も聞かずに彼女は僕の手を引っ張ってくれた。梯子を身軽に降り、星の道を行く。幽の家まで辿ってきた道の横に新たな道ができている。二人でそこを曲がると、空宙に駅のホームがあった。

 蒸気の音が前方から聞こえ、黒光した列車が銀河の中から姿を現す。レールがなくても縦横無尽に走り、ホームのぎりぎりで曲がり停車した。

「これ、乗って大丈夫なやつ?」

 運転しているものも乗っているものもいないことが心配になる。彼女はまったく平気な様子でさっさと中へ行ってしまい、慌ててあとを追いかける。僕らが乗車したことを確認すると列車の扉は勢いよく閉まり、また蒸気を吹きながら高度を上げるため車輪を回転させた。

 派手な運転だが中は思ったよりも揺れが少ない。いやむしろ、揺れがないというほうが近いくらいだった。外から見れば列車はやはり縦横無尽に走っているはずだけれど、窓からの景色は嘘みたいに止まって見えた。

 前から四番目の席に向かい合って座る。調子はまだ戻っていないから、彼女がはしゃぐように窓の外を覗き込む姿に圧倒される。外はまだ見ることができない。暗い木材で作られた車内の野太い反響音が、今は心を落ち着かせてくれる助けになる。彼女の声も耳を通らなくなると、自然に目をつぶる。

 ガタンタン、ガタンガタタン。ゴトンガタン、タンガゴトン。

 僕は本当に人が嫌いなのだろうか。あの紙切れを見つけたときはどんな気持ちだったか。人は仲良くなると、その人を好きになるらしい。まだその気持ちがよくわからない。いつかわかればいいなと思っていたらきっといつまで経ってもわからないのだと思う。だからずっと考える。だけど、どうしてもわからない。

 目を開ける。彼女は静かに座っている。勝手にはしゃいでいると思っただけで、彼女はもとから何も発さずに窓の外をきらきらした目で見ていただけだ。

「君はどうして僕と遊んでくれるの?」

 不意に尋ねれば、彼女は真剣に答える。こっちは向かない。

「こうしているのが楽しくて、好きだから。それ以外なんてないよ」

 言い終わると笑顔で僕のほうを見た。よくわからない。目を逸らす。

 彼女の声が続けて横耳に届く。さっき紙切れを見ていたのに気づいていたらしく、あれがどういうものなのか聞かれた。

「あれはね、宝物。空っぽな僕のことを証明してくれる」

「そういうものじゃないの?」

 首を振った。仮にそうだったとしても違うと言う。だってあの紙切れには、僕の名前も、送り主の名前も書いてはいないのだから。たまたま自分の近くにあっただけ。

「でもだからこそ、あれは僕の宝物になり得るんだ。自分にくれた気持ちなのか、相手が誰なのか、本当に書いてあるままの意味なのか。何もわからないから僕は見るたびに考える。そしてそのたびに自分が人を好きになれないことがわかる。だけどそれって、人が嫌いってことなのかな」

 誰よりも自分以外の人が笑ってくれたらいいと思って頑張ろうとしている。返しがほしいわけでも、お礼がされたいわけでもない。自分が良いやつだと思われたいなんてもっとない。ただ、これは自己満足とも違う。人が笑っていてくれたなら、喜んでいるなら、心がこう、ふわっと温かくなる。その瞬間を自分は欲している。本当に本心から嬉しい。

 それなのに、なぜだろう。自分の心には何もない。ここまで思っても人を好きになることは叶わない。いっそ嫌いになりたい。でも嫌いにもなれない。嫌いになれるのは自分のことだけ。気を回すと疲れる。人が笑い、喜んでいる姿が視界でぼやけてきて、自分が頑張っている理由を見失う。頑張っていること自体、真に頑張っているのか疑い出す。自分が自分じゃなくなって、もう僕は、一体いつのどんな「僕」だかわからない。

 僕はどうしたいのだろう。どうなりたいのだろう。

 彼女は何も言わなかった。慰めの一言すらなく、それが彼女の良いところだと思う。ふふっと笑い、窓の外を再び見て、時はそのまま流れる。

 目の前の方向をほんの少しずらすだけで素晴らしい景色が見えるのだろう。列車が銀河の中で三日月を描くように走っているのもわかる。彼女がはしゃいでいると思ったのも、外から溢れてくる鮮やかで純粋な光のせいだ。

 下を向き続けた。顔を隠すように伸びた髪で覆う。

 しばらくして列車は終点に到着する。彼女に呼ばれても体勢は変えられない。

「見せたいものがあるの」

 見たくないと首を振る。体調が悪いと嘘をつく。このままでいたい。動かずにいたい。消えたいと願うと、手足が薄れていくような気もする。

 しかし、彼女は無理矢理にでも僕を連れ出した。

 明るさに目を細める。

「ほら見て。わかる?」

 彼女が先を指差す。

 そこにあったものに、ひどく、驚いてしまった。

 列車は銀河を上っていた。見えない足場の丘から、空宙全体が見渡せる。幽の家なども遠くに見えるが、それより何よりまず目に入ってきたのは、無数に伸びる星の道々だった。

 涙が溢れてきそうになる。必死で堪える。

「すごい」

「でしょ?」

 道は一つしかないと思い込んでいた。彼女がそこに列車に乗るための道を作り出し、自分がそこについて行っただけ。実際には違っていた。

 彼女が教えてくれた。

「星の道はね、ずーっと生まれ続けるの。あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、ぐちゃぐちゃでめちゃくちゃだけど、こんなに綺麗。人が歩く道も同じ。遠回りしたり、近道したり、あるときはしばらく真っ直ぐ行ったり。繋がる地点はない。終わりもない。でもそれって常に新しい道を作れるってことだよ。すっごく素敵。そうは思わない?」

 一歩前に出て、よく見る。彼女の言った通り、どの星の道にも違いがある。あやふやで歪。それでもそのすべてが最後には一つになり、景色と呼べるほど美しい軌跡を生んでいる。これが人の歩いてきたものだと思うと、さらに壮大に思える。一つ一つは違っていても、どこか似ているから形になる。

 変わりはしないけれど。

「やっぱりわからないんだ」

「そっか」

「だけど、もう少しだけ頑張ってみるよ」

 彼女の目が一瞬大きく、ほっと何かが灯る。

「そっか」

 やはりそれが彼女の良いところだと思う。聞いてくれるだけ。他にはなく、それだけ。僕はいつも救われる。

 気づけば幽の家まで戻ってくる。

 空宙を見上げれば描かれた線たちが光を増している。帰りは乗ってきたのか覚えていない列車も、線の間をすり抜けて元気に走るのが見える。

「そろそろ行かないと。途中まで一緒にきてくれる?」

 僕が言うと、彼女は名残惜しそうにはするがうなずき、手を握ってくれる。

 何もない場所に二人で足を踏み出せば、そこに新たな星の道が出来上がる。自分があるべきところへ戻る限界まで歩こうと思う。

「また、来てもいい?」

「もちろん」

 どこまで歩いても続く星の道に、僕と彼女の足跡は透ける。

 空宙がだんだんと消失する。

 銀河はなく、星はなく、幽の家はなく、列車はなく、彼女はなく、僕はなく。

 歩行線だけが最後に残った。

 ――人を好きになりたい。

 目覚ましが鳴る二時間前に起きたとき、頭にふとそんな一行が浮かんだ。

 カーテンを開けると、窓の外がどこか懐かしい。白い光の眩さに視線を切り、太陽がそのうち昇ることを思いながら、当たり前だけど自分が目覚めたのだと認識する。ここは自分の部屋だ。

 妙に心が晴れやかだった。

 布団からゆっくり這い出て、水の冷たさに耐えながら顔を洗い、歯を磨き、ニュース番組を横目に朝食を取り、着替え、もう一度歯を磨き、ちょっと娯楽を挟んでから外に出る。

 そうして今日も、生活は回っていく。


       空宙の歩行線

2022年12月21日 執筆

         著者 八坂零(やさかれい)

         掲載 芸術の星座

 最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。

 いかかだったでしょうか。『空宙の歩行線

 こちらは、筆者が大学時代のゼミ雑誌で執筆した作品ですが、なんと文学雑誌『三田文學』様の「新 同人雑誌評 ◆ No.154(2023年夏季号)で取りあげられた作品」にも取り上げていただいた作品でもあり、思い出に残っている作品です。

三田文学会.”新 同人雑誌評 ◆ No.154(2023年夏季号)で取りあげられた作品”.三田文学ホームページ.
https://www.mitabungaku.jp/doujin2023.html#summer(参照 2025-2-19).

 こちらは私の代表作ですが、詩のほうの代表作、『《愛巡樹 = I and You》』(あいえんじゅ= I and You)もぜひ、ご覧ください。

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