あらすじ
生きようとする魚の力と、今に死んでいく主人公の儚さが悲しい物語。
深い深い海に沈んでいく「私」、自分の醜さが嫌だった彼女には、見てみたい生き物がいた。それは世界で最も醜いと言われる魚。そんな魚と自分を重ねていた彼女だったが、実際にその姿を目の当たりにすると……。
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深く海に飛び込んだ。
塩水の痛みが次第になくなると、口から出る空気も減り、鼓動が停止して……私は初めて酸素の届かなくなった瞳を海中で見開いた。
小さい頃、見てみたい魚がいた。魚は世界で最も醜い魚と言われ、自分の顔にコンプレックスを持っていた私にとっては、心の友のような存在だった。水族館などの作られた空間ではない。この瞳で、魚が実際にどう生きているのかが見たかった。
生命の順応力により、微生物ほどのわずかな光のかけらが、視覚で無意識につかみ取られる。最初は真っ暗で何も見えなかった海の底が、数秒経つと慣れてくる。
まだ誰も見たことのない深海の景色が、腐敗の進む私の瞳に美しく流れ込んだ。
海色に光るクラゲ、毒々しい黄緑色の海藻、読めない文字が書かれた古い石板、体の八割ほどが金の目でできた魚……。見えるすべてに確証は持てないが、それらは求めていた場所へやってきたことの証明となった。
あ、見つけた。
図鑑とは少し違う姿で彼はいた。その姿は、やはり不細工だった。
口がガマグチ財布のように大きく横に伸び、目はまわりの皮膚に圧迫され飛び出している。鱗も闇に濁っているし、他の生き物みたいに泳ぎもしない。ぬぼーっと地面からちょっと離れたところにただ浮いているだけ。
私は彼が図鑑の通りだった落胆と、自分のちっぽけな願いに対するある種の安心と、二つの感情をもらった。
ほんと、どうしようもない人生だった。つくづく思う。
しかし、それを彼に伝えようとすると、勢いよく私の前までやってきた。速く泳げるなんて知らなかったので驚いた。
怒ったような顔で私を見てくる。真剣なまなざしに、彼が食糧の少ないこの深海で、それでも生きるために自身の体を今のように変容させたのを思い出した。
ごめんね。君は、頑張っているんだよね。そう。私も、そうでありたかったの。
水中のはずだが、私の目から水泡が浮いていく。彼はそれを見て汚く笑った。その表情はこの美しき深海と同化しているように思えた。 そっと、彼の唇に触れる。
美しい深海と不細工な魚
2025年3月13日 執筆
著者 八坂零
掲載 芸術の星座
筆者からひとこと
最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。
いかかだったでしょうか。『美しい深海と不細工な魚』
筆者の書いた感想としては、みなさんの感性に刺激を与えるような、美しい深海の世界が描けていたら嬉しいのですが……。
さて、とても短いお話ですが「私」が深海で出会った魚は、決して不細工というだけではなかったのですね。あらすじにもありますが、生きようとする魚の力と、今に死んでいく主人公の儚さがなんとも物悲しいです。
なぜ、彼女は深海に飛び込もう思い至ったのか。もし、想像していただけましたら、彼女も救われるのではないかと思います。
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